「暴れる父を見るのが辛い。薬でなんとかなりませんか?」
「夜中に叫び続けられると、こちらの精神が崩壊しそうです」
介護の現場や薬局の窓口で、ご家族からこのような悲痛な叫びを耳にします。
目の前の家族が別人格のように荒れ狂うBPSD(行動・心理症状)。「なんとかして止めたい」と願うのは当然です。
しかし、ここで多くの人が「薬の落とし穴」にはまります。
今回は、現役薬剤師として、薬物療法の「冷徹な現実(本当のところ)」と、最も重要な「引き算の発想」について、オブラートに包まず解説します。
1. 薬物療法の「本当のところ」

まず、残酷なようですが事実をお伝えします。
「BPSD(暴言・暴力・徘徊など)を根本的に『治す』薬は存在しません。」
現在使われている向精神薬や抗精神病薬の役割は、脳の機能を回復させることではありません。その本質は「興奮している脳を、薬の力で強制的に鎮める(抑え込む)」ことです。
薬のリアルな役割とリスク
- 期待できること:
興奮のレベルを下げ、介護者が近寄れる状態にする。夜間の睡眠を確保する。 - リスク(代償):
- 過鎮静:一日中ボーッとして、食事も摂れなくなる。
- 転倒・骨折:ふらつきが出て、転んで寝たきりになる。
- 嚥下障害:飲み込む力が弱り、誤嚥性肺炎を起こす。
つまり、薬物療法とは「BPSDという『活動的な症状』を抑える代わりに、『身体機能の低下』というリスクを受け入れる」という、ギリギリのバランスの上に成り立っている対処療法なのです。
「薬を使えば、昔のような穏やかなお父さんに戻る」わけではありません。この点を理解せずに安易に薬を求めると、結果としてご本人の寿命を縮めることになりかねません。

2. 最も重要な「引き算の発想」とは?
では、どうすればいいのか。ここで私が最も強調したいのが「引き算の発想」です。
通常、症状が出ると「何か良い薬を足そう(プラスしよう)」と考えがちです。しかし、高齢者の脳において、薬剤の追加は混乱(せん妄)の上塗りになることが多々あります。

「引き算」とは、以下の3つの「原因」を取り除くことです。
① 「今飲んでいる薬」を引き算する
実は、BPSDの原因が「今飲んでいる薬の副作用」であるケースが非常に多いです。
- 例:頻尿の薬、アレルギーの薬、睡眠薬、あるいは認知症の進行抑制薬(ドネペジルなど)そのものが、脳を興奮させたり、イライラを引き起こしていることがあります。
- 対策:「新しい薬を足す」前に「今飲んでいる薬を減らす・やめる」ことで、嘘のように穏やかになることがあります。
② 「不快な刺激」を引き算する
ご本人は「痛い」「暑い」「痒い」「便が出ない」とうまく伝えられず、その不快感が「暴言」として出力されています。
- 対策:安定剤を飲ませる前に、便秘を解消する(便の不快感を取り除く)、部屋の温度を下げる、うるさいテレビを消す。これが「環境の引き算」です。
③ 「過剰な期待」を引き算する
「なんでできないの!」「さっき言ったでしょ!」という介護者のイライラや正論は、鋭敏に伝わります。
- 対策:「できなくて当たり前」と割り切り、説得や指導をやめる。介護者の肩の荷を(心理的に)引き算することで、ご本人の攻撃性が下がることがあります。


3. それでも薬が必要な時の「正しい戦い方」
「引き算」を試しても、暴力が止まらず介護者の身が危ない。そんな時は迷わず薬物療法(足し算)を頼ってください。介護者が共倒れしては元も子もないからです。
ただし、以下の鉄則を守ってください。
鉄則1:まずは漢方薬から(抑肝散など)
西洋薬のような即効性や強力な鎮静作用はありませんが、重篤な副作用が少なく、イライラの「角を取る」効果が期待できます。まずはここから始めるのがセオリーです。
鉄則2:抗精神病薬は「少量」から「短期間」
リスペリドンやクエチアピンなどの抗精神病薬を使う場合、目的は「安全の確保」です。
- 少量開始(Start Low):高齢者は通常の半量以下でも効きすぎることがあります。
- 定期見直し(Go Slow):症状が落ち着いたら、漫然と続けずに医師に「減らせないか」相談してください。一生飲み続ける薬ではありません。
鉄則3:副作用のサインを見逃さない
薬を開始した後、以下の症状が出たら「認知症が進んだ」のではなく「薬が強すぎる」サインです。
- 呂律(ろれつ)が回らない
- 歩き方が小刻みになる、傾く
- 表情がなくなり、反応が乏しい
このサインが出たら、すぐに医師・薬剤師に伝えてください。

まとめ:正解は「薬」ではなく「バランス」
アルツハイマー型認知症のBPSD治療において、薬は「魔法の杖」ではありません。時に諸刃の剣となります。
- 薬は「治す」ものではなく、症状を「抑え込む」もの(リスクを伴う)。
- 薬を足す前に、まずは原因となっている薬や環境を「引き算」する。
- どうしても使う場合は、副作用を監視しながら「必要最小限」にとどめる。
この3点を理解しているだけで、医師への相談の仕方が変わり、結果としてご本人を守ることにつながります。
不安な時は、「この薬、本当に必要ですか?」「減らせる薬はありませんか?」と、私たち薬剤師に問いかけてみてください。一緒に「最適な引き算」を考えましょう。

参考文献・出典
本記事は以下の信頼できる情報源に基づき執筆・構成しています。
- 日本認知症学会監修『認知症疾患治療ガイドライン2023』
- 厚生労働省「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」
- 中村裕之ほか:BPSDに対する薬物療法の現状と課題. 精神科治療学 2020; 35(3): 245-252.
- Cummings JL. Behavioral and psychological symptoms of dementia: relevance for drug therapy. CNS Drugs. 2021; 35(5): 501-517.
- van Dyck CH, et al. Lecanemab in early Alzheimer’s disease. N Engl J Med. 2023; 388: 9-21.
「薬剤師として『薬の調整』はできますが、日々の細かな対応で悩むご家族には、この一冊をおすすめします。記事で紹介した『なぜその行動をするのか?』という背景がイラストで直感的にわかります。『父が意地悪をしているわけではない』と腑に落ちるだけで、介護はぐっと楽になります。」

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