はじめに
ある日、薬局に処方箋を持って訪れたご家族が「夜中に父が急に怒鳴ったり、壁を叩いたりするんです。眠れなくて家族も困っていて…」と相談されました。医師に報告したところ、抗認知症薬に加えて抑肝散という漢方薬が処方されたのです。数週間後、そのご家族から「夜中の大声が減り、みんな少し眠れるようになりました」と安堵の声をいただきました。
認知症治療は、西洋薬だけでは十分に対応できない場面があります。とくに周辺症状(BPSD:行動・心理症状)と呼ばれる不眠、不安、興奮、幻覚などは介護者の負担にも直結するため、補助的に漢方薬が活用されるケースがあるのです。
本記事では、介護関係者やご家族に向けて、現場でよく使われる抑肝散・釣藤散を中心にした漢方薬の効果と注意点を、具体的なエピソードを交えてわかりやすく解説します。
漢方薬が認知症治療に使われる背景

認知症の症状は大きく二つに分けられます。
- 中核症状:記憶障害、判断力の低下、見当識障害など
- 周辺症状(BPSD):不眠、幻覚、妄想、興奮、徘徊、攻撃性など
ある介護施設の事例では、抗認知症薬で記憶障害の進行はある程度抑えられていたものの、夜間の不眠や昼間の興奮が強く、介護スタッフが交代で見守りをしなければならず疲弊していました。そこで医師の判断で抑肝散が追加され、数週間後には「夜の見守り体制が少し楽になった」と現場から声があがりました。
このように、西洋薬だけでは不十分な症状を補う目的で漢方薬が使われるのです。
認知症治療に使われる代表的な漢方薬
1. 抑肝散(よくかんさん)
効果
抑肝散は「神経の高ぶりを抑える」働きがあるとされ、BPSDに用いられる代表的な漢方薬です。
- 怒りっぽさ、攻撃的な言動
- 興奮や不眠
- 幻視・幻覚に伴う不安
現場でのエピソード
あるグループホームで暮らす女性(80代)は、夕方になると落ち着かず、同室の方に声を荒らげてしまうことがありました。スタッフは安全確保に追われ、他の入居者も不安を訴える状況に。医師に報告後、抑肝散が追加されると、徐々に夕方の興奮が落ち着き、「スタッフの声かけにも素直に応じてくれるようになった」と報告されました。
注意点
- 体力が比較的ある人に向く
- 低ナトリウム血症などの副作用に注意
- 利尿薬などとの併用に注意が必要
2. 抑肝散加陳皮半夏(よくかんさんかちんぴはんげ)
抑肝散に胃腸の働きを整える陳皮と半夏を加えた処方です。
エピソード
薬局で「抑肝散を飲んでいたら食欲が落ちてきて心配」という相談を受けた方がいました。その後、医師の判断で抑肝散加陳皮半夏に切り替えると、「食欲が少し戻り、体力も安定してきた」とご家族が安心されていました。
3. 釣藤散(ちょうとうさん)
効果
釣藤散はもともと「高血圧に伴う頭痛やめまい」に使われてきた処方です。脳血管の緊張を和らげる作用があるとされ、以下のような症状に使われることがあります。
- 頭痛や肩こり
- 不安や不眠
- 認知症初期の精神的不安定さ
現場でのエピソード
外来に通う70代の男性は「最近もの忘れが増えただけでなく、頭が重い感じがする」と訴えていました。認知機能の低下に加え、不安や頭痛が強いことから釣藤散が処方されました。しばらくして本人から「頭痛が減って気持ちが楽になった」との報告があり、ご家族も「表情が和らいできた」と話されていました。
4. その他の漢方薬
- 加味逍遙散(かみしょうようさん):不安、不眠、イライラ。女性に多い処方。
- 帰脾湯(きひとう):不眠や不安、胃腸虚弱のある方に。
- 人参養栄湯(にんじんようえいとう):体力低下や食欲不振が目立つ高齢者に。
漢方薬を使うときの注意点

1. 「自然の薬だから安心」ではない
抑肝散で低ナトリウム血症、甘草を含む処方で偽アルドステロン症(むくみ、血圧上昇)などの副作用が起こることがあります。
2. 西洋薬との相互作用
抗認知症薬や降圧薬、利尿薬と併用する場合は注意が必要です。
3. 体質に合わせて処方される
同じ認知症でも、人によって処方が異なります。市販の漢方薬を自己判断で使うのは危険です。
介護者として知っておきたいポイント
- 症状をメモして医師に伝える
例:「夜中に2時間おきに起きて家族を呼ぶ」「夕方になると物を隠して疑う」など。 - 服薬管理の工夫
漢方薬は1日2〜3回服用が多く、飲み忘れ防止に一包化やカレンダーが役立ちます。 - 生活習慣との組み合わせが大切
規則正しい生活、栄養、リハビリ、口腔ケアと組み合わせることで効果を実感しやすくなります。
まとめ
- 漢方薬は認知症のBPSDに対して使われることがある
- 抑肝散は興奮や不眠、釣藤散は頭痛や不安に適応されるケースがある
- 副作用や相互作用に注意し、必ず医師や薬剤師に相談することが大切
- 介護者は症状の観察と服薬管理で治療をサポートできる
介護の現場では「薬を変えたら少し落ち着いた」「夜眠れるようになり介護者の負担も減った」という小さな変化が、生活全体を大きく支えることにつながります。漢方薬はその選択肢のひとつとして、上手に活用していきましょう。
出典
- 日本認知症学会「認知症疾患治療ガイドライン2023」
- 厚生労働省 e-ヘルスネット「認知症の薬物療法」
- 日本老年医学会雑誌 各種論文
- 『今日の治療薬』南江堂


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