はじめに
「父が急に怒りっぽくなってしまったんです。これまで穏やかで優しい人だったのに、家族の言葉に耳を貸さず、同じことを繰り返す。病気かどうかも分からず、最初は私たちの接し方が悪いのではないかと悩みました。後から“前頭側頭型認知症”と診断され、初めて“本人の意思ではなく病気による症状”だと理解できたんです。」
介護の現場では、このように「性格が変わってしまった」「以前の本人らしさが失われてしまった」という相談をよく受けます。アルツハイマー型認知症と比べると知名度が低い前頭側頭型認知症(Frontotemporal Dementia:FTD)ですが、**発症年齢が比較的若い(40~60歳代に好発することが複数の疫学研究で示されています[Rascovsky et al., 2011; Ratnavalli et al., 2002])**点や、記憶障害よりも性格変化や行動障害が目立つ点が特徴です。今回は、FTDの基本的な理解から、介護における具体的な対応のポイントまで解説していきます。
1. 前頭側頭型認知症(FTD)とは?
1-1. 発症の仕組み
前頭側頭型認知症は、脳の「前頭葉」と「側頭葉」の神経細胞が変性・脱落していく病気です。前頭葉は行動の制御、社会性、感情のコントロールを担い、側頭葉は言語理解や感情認識に関わります。これらが障害されるため、社会的に不適切な行動、脱抑制、言語障害が生じます。
病理学的には、タウ蛋白やTDP-43といった異常蛋白の蓄積が原因とされますが、すべての症例で解明されているわけではありません。家族性のものも一部存在します。
1-2. アルツハイマー型認知症との違い
FTDでは記憶障害は初期には軽度で、むしろ「行動や性格の変化」が前面に出ます。例えば、財布をどこに置いたかを忘れることよりも、同じ食べ物ばかり大量に食べる、社会的マナーを無視した発言を繰り返すといった症状が目立ちます。
2. FTDでみられる主な症状

2-1. 性格変化と行動障害(家族の声から)
- 脱抑制
「母は今まで礼儀正しい人でしたが、急に大声で店員さんに文句を言ったり、見知らぬ人に馴れ馴れしく話しかけたりするようになりました。本人は悪気がなくても、周囲からは非常識に見えてしまうんです。」 - 易怒性・攻撃性
「ちょっとしたことで怒鳴られたり、食事を投げられたりするようになり、家族はどう対応していいか分からなくなりました。」 - 常同行動
「毎日何時間も同じ歌を繰り返し歌い続ける。最初は笑っていたけれど、夜中まで続くと家族も疲れてしまう。」 - 過食・偏食・異食
甘いものばかりを大量に食べたり、同じパンを毎日何十個も欲しがったりすることがあります。さらに、紙や石鹸など食べ物ではないものを口に入れる「異食」も報告されており、誤嚥や窒息のリスクになります。
2-2. 言語障害
- 反響言語:相手が言った言葉をそのまま繰り返す(例:「お茶飲む?」と聞くと「お茶飲む?」と答える)
- 意味理解の障害:「鉛筆を使ってください」と伝えても「鉛筆って何?」と尋ね返すなど、単語の意味が分からなくなっていきます
- 発語困難:言葉が出にくくなり、会話が単語中心になってしまう
2-3. 運動・感覚に関連する症状
- 吸引反射:口元に触れると無意識に吸い付くような反射が見られる
- 空間認知力の低下:指示された動作が理解できても、身体をうまく動かせない(例:「右手の人差し指と親指で左の耳たぶをつまんでください」と言ってもできない)
3. 介護における大きな課題

3-1. 家族への心理的負担
「以前の本人らしさ」が失われることで、家族は強い喪失感を抱きます。また、社会的に不適切な行動をとることで周囲からの誤解も受けやすく、孤立感に繋がります。
3-2. 若年発症の問題
現役世代で発症することが多いため、就労・経済的な問題、子育て世代の家族への負担が重なります。介護保険の利用や就労支援、社会資源の活用が不可欠です。
4. 介護の具体的なポイント
4-1. 行動を無理に正そうとしない
FTDの行動障害は本人の意思というより、脳の病気による症状です。正論で注意しても改善せず、かえって反発や混乱を招きます。**「叱るより環境調整」**が基本です。
4-2. 環境調整の工夫
- 食べ過ぎる場合 → 食べ物を見えない場所にしまう、間食を小分けにする
- 常同行動が目立つ場合 → 安全に繰り返せる活動(散歩、単純作業など)に置き換える
- 公共の場での不適切な発言 → 外出先を限定し、付き添いを増やす
4-3. コミュニケーションの工夫
- 短く分かりやすい言葉で伝える
- 選択肢を少なく提示する(「これとこれ、どちらにする?」)
- 否定よりも肯定で対応する(「ダメ」より「こっちの方がいいね」)
4-4. 感情面への配慮
共感性が低下しても、本人に感情がないわけではありません。言葉よりも表情・声のトーン・スキンシップが伝わりやすいことがあります。
5. 医療と介護の連携

5-1. 薬物療法
現時点でFTDに根本的な治療薬はありませんが、症状に応じて以下を少量で使用することがあります。
- 抗精神病薬(行動障害や幻覚に)
- 抗うつ剤(気分の変動や抑うつに)
- 抗てんかん薬(易刺激性や行動抑制に有効な場合あり。例:バルプロ酸ナトリウム)
薬剤過敏性があるため、医師と慎重に相談しながら進めることが重要です。
5-2. 多職種の支援
- 訪問看護:服薬管理や生活支援
- ケアマネジャー:介護保険サービス調整、福祉用具の導入
- 家族会や支援団体:孤立を防ぎ、情報交換ができる
6. 家族が疲弊しないために

介護者が心身ともに疲れ果ててしまうと、共倒れのリスクが高まります。
- レスパイトケア(ショートステイやデイサービス)を活用する
- 地域の相談窓口や家族会に早めに相談する
- 介護者自身の生活リズムや健康を優先する意識を持つ
まとめ
前頭側頭型認知症(FTD)は、記憶障害よりも性格変化や行動障害が前面に出る認知症です。家族にとっては「人が変わってしまったように見える」ことが大きな衝撃ですが、それは病気による症状です。もっとも介護が困難な認知症のタイプで介護者の精神と体力をすり減らすことが多いです。家族だけでの介護は難しいケースが多く、多職種の支援が欠かせません。
介護の基本は「正そうとせず、環境と関わり方を工夫すること」。そして家族が孤立せず、支援を受けながら介護を続けることが大切です。理解と工夫があれば、本人の尊厳を守りながら生活を支えていくことができます。
出典元
- Rascovsky K, et al. Sensitivity of revised diagnostic criteria for the behavioural variant of frontotemporal dementia. Brain. 2011.
- Ratnavalli E, et al. The prevalence of frontotemporal dementia. Neurology. 2002.
- 厚生労働省「認知症施策推進総合戦略(新オレンジプラン)」
- 日本神経学会「認知症疾患診療ガイドライン」
- Mayo Clinic: Frontotemporal dementia
- Alzheimer’s Association: Frontotemporal disorders


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